久坂玄瑞の書簡新たに発見!企画展「久坂玄瑞の手紙」を開催(平成27年4月27日)

更新日:2023年08月01日

(企画展の概要)

期間:5月15日金曜日~17日日曜日

時間:午前10時~午後4時30分

場所:泉大津市立織編館ギャラリー

 幕末に活躍した久坂玄瑞は、吉田松陰に「天下の英才」と評され、松下村塾の塾生で吉田松陰の妹、文の夫です。同じく松陰亡きあと指導的立場であった小田村文助(のちの楫取素彦(かとりもとひこ))は文の2度目の夫で、久坂玄瑞から小田村にあてた書簡は2通しか確認されていません(萩博物館高杉晋作資料室長 一坂太郎氏による)でしたが、泉大津市内の旧家から新たな書簡が発見されました。

 この新発見の久坂玄瑞の書簡を市織編館ギャラリーで特別展示します。また、あわせて楫取素彦(かとりもとひこ)の書簡も展示いたします。  

展示品1「久坂玄瑞から小田村文助(楫取素彦のこと)宛の書簡」

現存数が少ない久坂玄瑞の書簡です。内容も松下松陰の妹 文の最初の夫である久坂から、2度目の夫となる小田村文助にあてた手紙で、二人の関係性を知るための貴重な史料です。

  楫取家文書は戦災でほぼ焼失しており、『楫取家文書』(昭和六年発刊日本史籍協会叢書)に久坂から小田村宛の手紙は、何通か収められているものの、現存しているのはわずかです。この手紙は『楫取家文書』にも掲載されていない新発見の文書です。

 ●書簡の内容について

文久2年(1862)10月21日に久坂から小田村にあてた書簡で、前半部分は、久坂が藩政に対する発言をしやすくなるようにと小田村が中心となって藩府に働きかけた結果、これまでの功績を認められ文久2年10月10日藩府は「身柄一代医業を免じ需役に列する」(医師の身分をとき、儒者とする)と決定しますが、儒者の腐敗を嘆いていた久坂はこれを拒否し、周囲を困惑させます。儒役をうけるよう説得を試みる小田村に(断ったことについて私の気持ちは)「御補察之次第」(間違ってはいない)と書いています。

 後半部分は文久2年10月20日に、小田村は藩府から使者として長府・岩国(現在の山口県)へ遣わされていることについて、「如何之御都合ニ候や」(どういう理由なのか)と小田村の近況を尋ねています。  

久坂玄瑞

(山口県立山口博物館贈)

久坂玄瑞から小田村文助にあてた書簡

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電話番号:0725-33-1131(代表) ファクス:0725-33-0670
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