ロシア兵墓地
明治37年~38年、多くのロシア兵が日露戦争で捕虜となって日本各地に収容され、高石の海岸につくられた収容所にも、多いときには2万人もの捕虜が収容されていました。地区の住民が異国の地で寂しく死んでいった兵士のために、自分たちの墓地のうち約600平方メートルを提供して造り、現在も春日町墓地の中に89基の墓石が並んでいます。
また、墓地の中央付近には、当時のロシア政府によって建てられた五稜の石碑があり、ロシア語など5か国語で「御霊よ、安らかなれ」と刻まれています。
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更新日:2023年08月01日