四十九山(千原町)
戦国時代の豪族で、上和泉郷内に領地を持っていた千原城主玉井壱岐守源秀が葬られています。 源秀は、河内国高屋城主の細川氏綱の家来として、天文12年(1543年)和泉国の守護細川元常と交戦し敗退、天正16年(1588年)に千原城で死去しました。 現在は、かつての面影をしのばせるものは乏しく、わずかに墓碑が残っているだけです。
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更新日:2023年08月01日