我孫子(あびこ)

更新日:2023年08月01日

明治20年近世以来の「長井村」「辻村」が合併し、「我孫子村」に改称する。明治22年合併穴師村の大字となり、昭和6年大津町の大字、昭和17年泉大津市の大字となる。

我孫子村は、室町期に「我孫子郷」「吾孫子荘」とみられ、中世以来の郷名から名づけられている。さらに新撰姓氏録の「吾孫公」、延喜式内膳司の「和泉国網曳御厨」に由来すれば、その起源はさらに古くなる、明応6(1497)年の史料には、「和泉国我孫子の郷は下条の内」に高野山奥院の灯油田があったことがみえる。

「我孫子荘」は、豊中村、池浦村、宮村、長井村、辻村、穴田村、板原村の七カ村をいう。

「我孫子一丁目、二丁目」は、平成10年11月1日住居表示実施により、池浦・虫取の一部を含め、我孫子の西側に新設され、東側は「我孫子」として存在する。

 

辻村は、江戸期~明治20年の村名。              

永徳(1381~84)年間、和泉守護山名氏清を助けるために、幕府より派遣された「辻村壱岐守」は「辻村」に居を構え、国侍の鎮撫に当たったという。

 

長井村は、江戸期~明治20年の村名。                  

 「永井村」とも記される。明治8年の人口49戸、203人。寺院には、浄土宗心福寺がある。

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