河原町(かわはらちょう)
昭和19年、宇多の一部を町名改称。
大津川河口にあり、江戸幕府の新田開発政策に応じ宇多大津村庄屋横山氏が元禄年間に河口一帯の荒地を開発し新田を成した。作物に害をなすカニを退治し、その供養のため建てられた「蟹塚」が地内にある。小さな祠には、元禄15年(1702年)の年号が刻まれた地蔵菩薩・弁才天の自然石が安置されている。大津に伝承されている「大津おどり」は、別名「蟹踊り」と呼ばれ、この蟹塚のカニを供養するため踊りはじたものと伝えられている。
昭和19年、大日本航空機タイヤ株式会社として設立、昭和20年6月泉大津市河原町に移転し、8月社名を「大津ゴム工業株式会社」と改称(昭和37年「オーツタイヤ株式会社」と改称」する。自動車タイヤの製造が始まり、「ファルケン」の名前で世界に知られ、タイヤは泉大津市の代表する産業の一つとなっているが、平成15年住友ゴム工業と合併する。
昭和34年4月に「戎第二小学校」を開設、昭和35年4月「宇多小学校」と改称する。戎・宇多小学校が統合新築となり、平成18年4月戎小学校となる。
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更新日:2023年08月01日