宮町(みやちょう)
宮村は、江戸期~明治の村名。明治22年合併、穴師村の大字となり、昭和6年大津町の大字、昭和17年泉大津市の大字となる。明治8年戸数18戸、9年人口81人。
江戸期の史料には、「泉穴師神社は、吾孫子荘宮村にあり。」とあり、古くは穴師村とも称され、「宮」は式内社の「泉穴師神社」、「穴師山薬師寺」にちなんだ名称である。
宮は、昭和46年9月1日住居表示実施により、南曽根、池浦の一部を含め「宮町」となり、村域の半分は「寿町」の一部となる。
宮町には、ため池が多くあり、「下籠池」「上籠池」は昭和30年代から埋め立てられ、市水道局曽根ポンプ所(現中央浄配水場)、大阪府警泉大津待機宿舎などに、「十九池(新池)」は、昭和50年9月上条小学校から分かれた条南小学校が完成し、「廿池(女池)」には昭和59年9月「市立総合体育館」が完成している。
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更新日:2023年08月01日