「大津村」「大津町」(おおつむら、おおつちょう)

更新日:2023年08月01日

明治8年~大正4年、大正4年~昭和17年の行政名。

明治8年宇多大津村、下条大津村が合併し「大津村」と改称する。大正4年4月1日町制施行「大津町」と改称。昭和6年8月20日上条村、穴師村と合併する。

昭和3年4月1日「大津町大字宇多大津・下条大津」を「大津町宇多・下条」に更正し、地番の大字を廃止する。昭和17年4月1日大阪府では7番目の市制を施行し「泉大津市」となる。

市施行にあたり、すでに滋賀県大津市があることから、大津の頭に和泉国の「泉」を置くこととしたものである。

大津の浦は、平安期承平6年(936年)、土佐日記には「小津の浦」と呼ばれ、120年後の康平2年(1059年)ごろの更級日記では「大津の浦」と呼ばれています。大津の地名は「小津」より転化したしたものといわれ、府中国府の港町として徐々に、「大きなみなと」となり、古くから物産の集積地として、また、江戸期からは南溟寺を中心にした寺内町として発展する。

正保4(1647)年、大津村が「宇多大津村」「下条大津村」に分離したという。

江戸期には紀州街道筋まで市街化が進み、近世字図では、下条大津村では「田中」「上市」「寺内」「出屋敷」「向町」「丹波町」「中市」「山の上」「砂子」「柳原」「迎上」の名がみえ、宇多大津村の字図では「上之町」「下之町」「古屋敷町」「浜」「中」などの名がみえる。

明治初期の町名としては、下条大津村に「田中町」「上市町」「釜下町」「板屋町」「木小中町」「小馬町」「寺内町」「丹波町」「砂子町」「山之上町」「出屋敷町」、宇多大津村に「上之町」「下之町」「古屋敷町」「出屋敷町堀端」の名が見えるが、地番表示は宇多・下条地番のままである。

町名はその後数次にわたって統廃合があり、明治10年頃上市町、釜下町、板屋町の一部が「上市町」に、大正10年頃砂子町、山之上町が「宮本町」に、大正11年宇多の一部に「清水町」が設けられ、大正12年頃小馬町、寺内町、丹波町が「本町」に、昭和初期出屋敷町堀端が「西浜町」に、さらに「西之町」に改められ、昭和4年本町、木小中町、板屋町の大部分が「元町」となる。

市制施行後、昭和19年5月1日、宇多・下条地番のほとんど現在の町名に更正する。

「木小中町」は、旧家の木谷家、小森家、中家の一字を取って名づけたという。

本市の秋祭のだんじり祭りでは、自治会組織とは別に、「田中町」「出屋敷町」「上市町」「元町」「宮本町」「西之町」「下之町」「上之町」浜8町として市制施行前の旧町の祭礼組織を残している。    

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