曽根町(そねちょう)
曽根町一丁目~三丁目」は、昭和46年9月1日住居表示実施により、南曽根・北曽根・森・二田の各一部から新設される。一部の飛地に「南曽根」が存する。
「新撰姓氏録」にみえる「和泉国神別曽根連」は、物部氏の祖神「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」の6世孫の子孫と伝えられており、奈良時代の豪族「曽根氏」の居住地に因んで名づけられており、その祖神「饒速日尊」を祀ったのが「曽禰神社」といわれ、延喜式(967年施行された法典)に記載されている。
永承3(1048)年、関白藤原頼通一行が高野山参詣の途上、往復とも「曽根御借家」に立ち寄っている。
室町期の史料では、「玉井遠江守、玉井三河守兄弟。本知両曽根・・」とあり、すでに曽根村が南北に分かれていたことが知れる。
曽根神社の東側には、「池上曽根遺跡」があり、弥生時代の環濠集落として国史跡に指定され、公園整備がおこなわれている。
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更新日:2023年08月01日